~ 脱いで 踊って 恋をして ~

出発の朝

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まさかのあそこに異変

その予期せぬ変化は、実に唐突だった。

朝起きると、何かがおかしい。おかしいのは何か。舌だ。

私のそれは明らかに腫れていて、口の中で異常な存在感を放っている。
鏡の前で湿ったそれを突き出してみると、いびつな左右非対称の物体として口の中に浮かんでいた。
特大の辛子明太子みたいな形と色。
これが牛タンだったらさぞジューシーなんだろうなとバカなことが一瞬頭に浮かんだけれど、そんなこと言っていられない非常事態だった。

ちゃんと喋れるか心配になった私は、試しにブツブツ独り言を言ってみるが、うまく喋れてない。
舌先を歯の裏に付けなければ発音できない「ナ」行が特に言いづらくて、ただでさえ悪い滑舌がさらに悪くなってしまった。

なぜこんなことが起きてしまったのだろう。
今日から私はウズベキスタンに飛ぶのに。
2ヶ月は日本に帰ってこないというのに。

気落ちして下がった目線の先に見えたのは、甲と裏が腫れ上がって、焼き立てのクリームパンのようになった私の足だった。
あぁ、なんてこと。舌だけでなく、足までもこんな様子になってしまった。足に関してはなぜこんなことになったのか、自分でよく分かっていた。


私は昨夜、旅の出発前夜にも関わらず飲みに繰り出した。早寝をして旅に備えるべきだと理性では分かっていたが、「べき」よりも快楽を優先する煩悩と私は、べったりと蜜月の仲。結局最後までグラスを握った手を緩めず、微かに残った理性の声が脳内にこだましたところで、終電に滑り込んだ。何とか家からの最寄り駅に辿り着いたは良いものの、慣れないヒールは私の親指を麻痺させ、もうどうにも歩けない。私は酔っている。親指は痛い。5秒ほど思案した結果、ヒールを脱ぎ捨て駅から家まで裸足で歩いた。

その結果の、クリームパンだ。
何か細菌にでも感染していたら大変なことになっていた。昨夜の自分の愚行にがっかりする。

戒めを胸に、それでも旅は始まった

クリームパンを気にしながら不恰好に腫れた舌を見ていると、何か重篤な病気だったらどうしようと不安になり、フライトをキャンセルした方が良いのかもしれないと思い始める。13時半のフライトだから、朝イチで診てもらえればギリギリ間に合うということで、とりあえず耳鼻咽喉科に飛び込む。

さすがに「舌が腫れました」という患者は珍しいらしく、先生も唸りこんでしまったが、結果的には「歯の裏に付けてる矯正器具が当たって、傷が付いちゃったんでしょう」ということになった。
軟膏と飲み薬をもらって一安心したので、そのまま空港へ向かうことに。成田空港へ到着し、友人2人と合流して即うどんを食べる。
機内に乗り込み、アシアナエアの機内食(ソースカツ丼)が出る頃には、舌の腫れもすっかり引いていた。
心配をかけた友人には申し訳ない。
この先2カ月間の旅の道中、決して調子に乗るなよという戒めを胸に、私の旅は始まった。

人の往来が世界中で制限されるようになってから早2年。
近い将来きっと私達を出迎えてくれるまだ見ぬ街、空気、そして人との出会いに胸を膨らませながら、2019年4月~6月の旅について綴ります。


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