〜 脱いで 踊って 恋をして 〜

vol.4 ジョージア(2)
絵画の世界から一転、世界一の悪路と復讐。そして、祈り

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世界遺産・ウシュグリ村へ

トビリシを出発した寝台車に揺られ、朝6時にズグディディに到着。朝一番、まずは全員一斉にトイレに駆け込む。海外のワイルドなトイレはモンゴルの田舎生活で慣れているつもりだったが、ズグディディのトイレは、ある意味でモンゴルを超えた

目の前に広がるのは、真っ暗で一切の光を立ち入らせない闇のみ。

見えない。本当に、何も見えない。はじめの一歩を踏み出すのも憚られる状況だが、ここで勇気を出さなければ先に進めない我々。用を足すべき位置もよく見えないまま全神経を集中させ、全員何とかミッションを終えた。

この先の移動手段は何も手配していなかったが、都合よく、駅前に数台客待ちの車が見える。ひとりのミクロバスの運転手(ゴガさん)と交渉し、メスティア経由でウシュグリ村まで連れて行ってもらうことに。

ゴガさんによると、この先メスティアからウシュグリまで行くには、「世界一の悪路」と呼ばれる山道を進む必要があるらしい。その割にはコンクリートの道が続き、悠々とドライブを楽しんでいたその矢先、コンクリ道は泥道に変わり、私たちの車はあえなくスタックした。沼にはまって車が全く動かないため、寝ていた人以外の乗客は全員降ろされた挙句、後方からやってきた小型の車にロープで引っ張ってもらいながら数十分間の死闘。

なんとか脱出に成功した瞬間に沸き上がった歓声と一体感は、私達の心に感動すら与えた。「世界一の悪路」は、そのエンタメ性をもって今日も人々に試練と感動を提供していることだろう。
数時間の泥道ドライブでたどり着いたウシュグリ村は、標高2,410メートル。ヨーロッパで最も高い位置にある村で、「天空の城ラピュタ」のモデルにもなったという。白い息を吐きながら、まだ雪が残る山間を歩いていると、前方から馬に乗った青年がやってくる。まるで、絵画の中に入り込んだようだった。

その後、ゴガさんに連れられ、(おそらく村で唯一の)レストランへ。ジョージア名物ハチャプリを頬張り、しょっぱい特製チーズをつまみながら自家製ワインをぐいぐい飲み進める。ちょっと発酵が進み過ぎたワインは、モンゴルの馬乳酒のようだった。「チャチャ」というグルジアのお酒も出してもらった。グルジアは昔からブドウ栽培が盛んで、チャチャはワインを作った際にとれる絞りかすで作られるという。なんでも、世界で最も古い蒸留酒らしい。

ふわふわした頭でふと上を見上げると、東京のビル群の隙間から見える空とは似ても似つかない、雲ひとつない澄み切った空が広がる。現実感がないまま空に身を委ね、酔っ払い達は夢の世界へと旅立った。

復讐の塔と祈り

お腹が満たされたら散策へ。しかしこの村、文字通りなにもない。たまに観光客向けのロッジの案内板を見る程度で、店らしき店もなく、生活感が感じられないのだ。

歩いていると、随所に石レンガで造られた塔が見える。これがこの地域で有名な、その名も「復讐の塔」。その恐ろしい名前のとおり、ウシュグリ村が位置するスヴァネティ地方では、「一族の誰かが危害を加えられたら、加害者の一族に復讐する」という「血の復讐」の文化があり、人々は復讐から身を守るためにこの「復讐の塔」を造り、身を隠していたという。こんなのどかな場所からは想像がつかないけれど、無機質にそびえ立つその塔には、人間の愛憎が刻み込まれていた。

復讐の塔に紛れて、同じ石レンガ造りの教会が佇んでいる。髪を隠すためベールを借りて、小さな入り口から教会の中に入ってみる。ひんやりと薄暗いその場所は、そこだけ世界から裁断され切り取られたかのような、深い静寂に包まれていた。人々は不安と憎悪と復讐心を抱えながらこの教会へ通い、救いと平和を祈ったのだろうか。

教会の外に出ると、友人のひとりが涙を流していた。スリランカで勤務する彼女は、2019年4月21日に発生したスリランカでのテロで心を痛めていた。ウシュグリの山々を見ながら、二人で祈った。

小さな大黒柱と大暴走の走り屋

ウシュグリ村での宿は、「HOTEL NATO」というゲストハウスを事前に予約していた。宿に着くと、英語は全く通じないけれどいつも笑顔で可愛いお母さんと、そのお母さんそっくりの男の子が出迎えてくれた。まだ小学生のこの男の子は英語が上手で、私達とお母さんとの通訳も、オンライン予約も一手に引き受けている。小さいながらも、立派に家族を支えているのだ。

ここにきて全員疲れが溜まってきたのか、お母さんお手製の夕飯を食べて早々に就寝。翌日はウシュグリ村からズグディディへ戻り、また寝台車でトビリシへと向かった。

このウシュグリ村からズグディディへの帰り道が、往路以上に過酷な旅となった。まず、雪崩でドライバー・ゴガさんの到着が遅れる。数時間のビハインドで出発して早々、なぜかドライバーが交代することになり、ゴガさんからスピード狂なドライバーにチェンジ。ギリギリのハンドルさばきで山岳地帯のカーブを抜けるも、山の中腹でエンジンがやられる。(あの運転でやられない方がおかしい。)そして気づけば、私達以外の乗客(全員男性)全員酔っ払い。

ひとり特に泥酔したおじいさんは、何が起きたのかとうとう山道に置き去りにされる始末。千鳥足で、舗装されていない山道を蝶のごとくフラフラと舞うおじいさんを見て心配する私達をよそに、酔っ払い達はゲラゲラと酒をあおり、車内のカオスと私達の絶望は最高潮に達した。

その後も半狂乱のドライバーは、ものすごい速度で山を駆け下りる。私達はもはや会話も無く、心の中で祈る者、無の境地へ意識を飛ばす者、車酔いで完全ダウンする者、それぞれの方法で恐怖の帰り道を過ごした。奇跡的にひとりの怪我人も出さずに駅に到着したときの安堵と言ったら。旅は、人を強くするのである。

帰りの寝台車は豪華だった。行きよりも5ドルほど高かったが、ベッドの広さもふかふか具合も確実に良い。おまけにブランケットもある。恐怖のドライブですり減らした全身・全神経を労わるように、全員泥のように眠った。


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