~ 脱いで 踊って 恋をして ~

vol.3 ジョージア(1)
ガウマルジョス(乾杯)と反省の夜

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ロシアの誘惑

ウズベキスタンに別れを告げ、モスクワ経由でジョージアへ。
S7(エスセブン)航空というロシアのエアラインに初めて乗ったものの、機体全体がバッタのような黄緑色で、どうもロシア感に欠ける。また、このバッタエアは機体が想像以上に狭く、屈強な大男達に囲まれてしまったが最後、まともに身動きが取れない。しかも、この大男達の数名は、その巨体から常時エキゾチックな匂いを発しており、なかなか忍耐力を試されるフライトとなった。こんなときに限って、マスクを持ち込まなかったという痛恨のミスが悔やまれる。

さて、経由地であるモスクワの空港で私が真っ先にしたことと言えば、プーチングッズ選びである。モスクワには、プーチンマトリョーシカをはじめ、プーチンTシャツ、マグネット、カップなど、この国の指導者の凜々しい姿がプリントされた、あらゆるグッズが用意されている。彼のファンではないし、個人的な政治思想には全く関係ないが、これだけ豊富なラインナップが用意されているとどうしても欲しくなってしまう。本当はプーチンマトリョーシカが欲しかったけれどとても気軽に買える値段ではなかったので諦め、代わりにプーチンマグネットを購入。これが後に後悔と反省の種となるは、このとき思いもしなかった。

モスクワからジョージアの首都・トビリシへの移動もまたバッタエアだったが、1匹目よりも機体が大きくて座り心地も良い。お待ちかねの機内食はチキンパスタにキットカット(特大サイズ)が付いていて、味もそこまで悪くない。それにしても移動中というのは、座っているだけなのになぜこんなにも食欲を刺激するのか。数カ月の日本生活ですっかり肥えた腹回りを気にしながらパスタを食べ進め、同じく肥えた顔周りを気にしながらキットカットに手が伸びる自分が悲しい。完食して、仮眠。

空港のお兄さんとジョージア文字に恋をして

トビリシ国際空港に無事到着。空港は良く整備されており、カジノの広告が上空で存在感を放っている。
ジョージアについて情報不足な私達は、荷物をピックアップするとすぐに空港内のインフォメーションセンターへ立ち寄ってみた。異国の地に到着して1番に話す人の印象というのは非常に重要で、その人の対応次第でその国に対するファーストインプレッションが決まると言っても良いだろう。その点で言うと、このインフォメーションセンターを1人で切り盛りしていたお兄さんは、まさに適任だった。流暢な英語で、キレイな写真が並ぶパンフレットを片手に、丁寧に、丁寧に、説明してくれる。最終的には、今週の天気予報や私達の日程を細やかに把握しながら、全旅程の提案までしてくれた。

お兄さんのおかげで、早くもジョージアファンとなった私達。上機嫌で空港の外に出ると、「こっち来い、安くするから」「俺のほうが安いぞ」とタクシー運転手が押し合いへし合い群がってくる。市内へ移動するため数分間交渉を重ねるも、あえなく決裂。結局、配車サービスのアプリで探した方が安かったので、オンライン予約して車を待つ。(ウズベキスタンやジョージアではyandexという配車アプリが便利。)

車窓から外を眺めていると、目に飛び込んでくるのは見たこともないジョージア文字。丸くて、とにかくかわいい。全く読めないものの見ているだけで心が躍る。ジョージア文字は33文字で構成されていて、日本語同様、左から右に読むらしい。

**ジョージア語一例**
こんにちは გამარჯობა. Gamarjhova. (ガマルジョバ)
お元気ですか? როგორა ხარ? Rogora khar? (ロゴラ ハル?)
ありがとうございます გმადლობთ. Gmadlobt. (グマドロプト)
トイレはどこですか? საპირფარეშო სად არის? Sap’irparesho sad aris? (サピルパレショ サダリス)

ジョージアディナーでの失敗

夕飯は、同行した友人の知り合い・テムカさんと奥さんがオススメの場所へ連れて行ってくれた。
小さくて素敵な昔ながらのレストランで、料理はどれも美味しい。代表的なジョージア料理は、小籠包のような「ヒンカリ」、チーズ入りパンの「ハチャプリ」、じゃがいもと野菜を炒めた「オジャクリ」など。肉と野菜のバランスも良く、味付けも日本人好みでどれも美味しい。ジョージア語で「乾杯」は「ガウマルジョス」というらしく、ジョージアワインを次々と空けながら、一同声高らかに「ガウマルジョス!!」を繰り返す。

団欒中、ふと、ロシアでのトランジットの話になった。ここでテムカさん夫妻の微妙な表情に気づけば良かったものの、無知で調子に乗った私は例のプーチンマグネットまで見せてしまった。後から聞けば、ジョージアはつい11年前にもロシアと軍事衝突した過去があり、対露感情は全く良くないとのこと。無知であったことを心底恥じ、後日テムカさんに謝った。そして、ジョージアの歴史を学び始めた。

ドラッグ漬けの寝台車

翌日は、首都のトビリシ散策。次の日からは「ウシュグリ村(Ushguli:უშგული)」という、ヨーロッパで最も高い場所にある村(世界遺産)を訪れることになったので、デパートへ行き防寒用のダウンジャケットを購入。みんなは黒をチョイス、私はひとりド派手なオレンジを選んだ。
トビリシは、音楽とアートに溢れた街だ。読めない文字と、少し物悲しいでも魅力的なタッチのアートと、ストリートミュージシャンの歌声が混じり合う。ランチの後は自由行動ということで、私はモダンアートのミュージアムに行き、街を散策するが、なんだか体がだるい。帰宅して仮眠をとるも、熱が上がってくるのが分かる。ウシュグリ村へは、今夜の寝台列車で行く予定なのに・・・。

みんなと一緒に行きたいけれど、寝台列車とこの後さらに2カ月続く旅のハードスケジュールを考えると、ここは大人しく寝ていた方が良い気がする。途端に弱気になって、友人らに留守番希望の旨を伝える。ひどく心配をかけてしまい、私をどうするかの会議が開かれた結果、ドラッグ(医薬品)漬けにして一緒に行くことが決定した。大量の風邪薬と解熱剤とビタミン剤を服用した私は、寝台車で死ぬ気で寝ると誓い、列車へ乗り込む。すると、薬のおかげか久しぶりに十分な睡眠を取ることができて、翌朝には完全復活していた。


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